当財団が創設された1969年当時はベトナム戦争が苛烈を極め、現地には戦争で親を失った孤児があふれていました。他方、わが国は敗戦の廃墟から立ち上がり、奇跡的といわれる経済成長を果たしていました。
財団の創設者たちは、「経済発展を成し遂げたのに、他国を助けなくては国際社会から信用されない。経済的利益を分かちあうだけでなく、困っている人々と苦難を分かちあうことが大事だ」と考え、日本政府や南ベトナム政府の協力を得て、サイゴン(現ホー・チ・ミン)郊外のビエンホアに孤児のための職業訓練学校を立ち上げ運営にあたりました。
この創設の精神を引き継いで開始されたのが、アジア諸国の福祉関係者をわが国に招聘する事業や、インドシナをはじめとする難民の救援・定住事業です。しかし財団創設から50年、世界はグローバル化し、中でもアジア地域の経済成長には目を見張るものがあります。グローバル化は経済活動だけでなく、国際間での大規模な人の移動も引き起こし、地球規模で民族や文化の衝突が起こり、移民や難民が急激に増大しています。その結果、多くの国や地域で価値観が多様化し、各国固有の文化や宗教との間で深刻な軋轢が生まれ、それを嫌う排外主義や孤立主義が声高に主張され始めています。
我が国の場合も外国人中長期在留者は250万人を超え、中でも40万人を超える技能実習生や20万人近い留学生の多くが、季節労働、介護、清掃、飲食、宿泊などの分野で、高齢化と人口減少に苦しむ我が国にとって必要不可欠な労働力として、経済活動の底辺を担っています。しかしそれは必要な「労働力」としてであり、彼らが生まれ育った文化や伝統を背景に持つ一人の「人間」である、という事が忘れられる事が多いことも否定できません。また第二次世界大戦後、短期労働者として外国人を受け入れた欧米諸国の多くでは、彼らに受け入れ国の文化や価値観を強制する同化政策をとったため、格差や反発を招き、結果として国内の治安や安全が損なわれています。我が国がその轍を踏まないよう、一人一人の違いを大切に、同じ仲間として外国人を受け入れる準備を始める時期に来ているのではないでしょうか。
我々は、これからの日本はinclusiveな社会でなければならないと考えます。Inclusive(包摂)という言葉は、多様性(diversity)を認め他者に対する寛容さや忍耐力を持つだけでなく、他者に対する思いやりの心を持つことだと思います。社会に生きる人々の間には、人種、民族、男女、世代、障碍者と健常者といったその人のidentityの違いや、宗教、価値観、政治信条などの考え方の違いがあります。これらの多様性を許容しつつ、identityという集団への帰属意識や、考え方という思想信条の違う人やグループが、お互いにお互いを尊重しあい、それぞれが助け合って生きて行くこと、それがinclusiveな社会だと考えるからです。
異なる主張がぶつかり合った場合に解決へ導くのは、identityの違いはもとより、価値観や文化、そして主義・主張の多様性をお互いに尊重し合うことです。そのためには、自分とは異なる文化や価値観、自分と反する主義・主張を持った者への「恕(じょ)」の精神(思いやりのこころ)がなくてはならない、と私たちは考えます。アジアに古くから伝わる考え方である「恕(じょ)」の精神を基礎として、inclusiveな社会を作るために、少しでも当財団がお役に立てればと願っています。