元姫路定住促進センター名誉所長 ヘンドリック・クワードブリット司祭の逝去
ヘンドリック・クワードブリット司祭(通称「ハリー神父」)は、2019年4月12日に、居住先の淳心会「仁豊野ヴィラ」(注:引退した同会司祭の宿泊施設)にて亡くなられ、14日に通夜が、また15日に告別式が、いずれも同ヴィラに近接する淳心会運営の「姫路聖マリア病院」付属聖堂内にて行われました。
14日の通夜には当財団より藤原理事長と安細事務局長が参列しました。聖堂内には120名分ほどの椅子が満席となり、加えて祭壇の左右やオルガン付近に設けられた臨時の席も埋り、正面入り口から祭壇に続く中央通路も参列者で溢れていました。参列者の合計は凡そ200名余りとみられ、その1/3程度はベトナム人定住者のようでした。式典中に何度か合唱や聖書朗読がなされましたが、ベトナム語による合唱、朗読もありました。
ハリー神父は、1956年10月に来日し、ベトナムからの「ボート・ピープル」の日本上陸が始まった1975年6月以降、第三国での定住を希望して日本に一時滞在する難民に対し、一時滞在施設を提供すべしとの「カリタス・ジャパン」からの指示を受け、淳心会が仁豊野に一時滞在者用キャンプを設置することとなり、ハリー神父はそのキャンプの所長に就かれました。更に、日本政府がベトナム難民の日本定住を決定して仁豊野にある淳心会の所有地内に定住促進センターを開所(1979年12月11日)すると、同センターの名誉所長に就任しました。
姫路定住促進センターは国の委託を受けた難民事業本部により運営されていましたが、ハリー神父は開所時から、難民の就職斡旋や学齢子女の地元小学校(注:姫路市立砥堀小学校)への通学受入れを働き掛けるなど、献身的に難民に寄り添ってくれました。センターは1996年3月末に閉所されましたが、ハリー神父はそれ以降も淳心会が仁豊野に設けた「交流センター」を拠点として、ベトナム人定住者や彼等のコミュニティーへの支援を続けると共に、聖マリア病院のチャプレンとして、ベトナム人定住者との集いや葬儀を執り行いました。